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大阪高等裁判所 昭和46年(ラ)5号 決定

抗告人 岡部喜一(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告人の抗告理由は別紙「抗告の要旨」のとおりである。

よつて審案するに、被相続人米田ますは昭和四三年七月五日死亡し、その相続人は存在せず、また、権利を行使する受遺者、相続債権者も存在しないことは原審の認定したとおりであるところ、かかる場合民法九五八条の三は、被相続人と生計を同じくしていた者、被相続人の療養看護に努めた者、その他被相続人と特別縁故があつた者は家庭裁判所に相続財産分与の請求ができる旨を規定している。ところで、抗告人は「被相続人と生計を同じくしていた者」ではないし、「被相続人の療養看護に努めた者」にも該当しないことは一件記録により明らかであり、「その他被相続人と特別縁故があつた者」に該当するかどうかについては、当裁判所は原審と結論を同じくするものである。けだし、同法条にいう被相続人と特別の縁故があつた者とはいかなる者を指すかは具体的に例を挙げることは困難であるけれども、同法条の立言の趣旨からみて同法条に例示する二つの場合に該当する者に準ずる程度に被相続人との間に具体的且つ現実的な精神的・物質的に密接な交渉のあつた者で、相続財産をその者に分与することが被相続人の意思に合致するであろうとみられる程度に特別の関係にあつた者をいうものと解するのが相当であるところ、本件記録に顕われた資料を検討してみても抗告人がそのような特別縁故者に該当する者とは認められない。

以下本件抗告理由について判断する。

抗告理由一について

抗告人は、被相続人に対し昭和二〇年頃に至る迄約七年間夕食を供していたこと、また、被相続人の葬儀万端の世話をしたと主張するが、本件記録の資料を総合すると、抗告人は、被相続人の夫米田精次(昭和一二年に死亡)とその先妻おとせ(昭和三年に死亡)の間の長女信子と昭和一四年に結婚し、昭和一八年に弓子が出生したが、抗告人の妻信子は病弱であり、当時被相続人は夫と死別し子もなかつたことから常時抗告人方に家事の手伝いや幼児弓子の世話に行つていた関係で、抗告人が被相続人に夕食などを供したりすることはむしろ当然のことといわねばならない。そしてまた、被相続人は終戦直前頃弓子を被相続人の郷里○○市の知人方に預けて戦災の難を避けさせたり、抗告人の妻信子が昭和二〇年八月頃死亡した後は、母親を喪つた幼い弓子のため何かと面倒をみたりして却つて抗告人の家庭に寄与していた面の多いことが認められ、抗告人が被相続人死亡の際にその葬儀万端の世話をしたとしても、いわゆる親類縁者として通例のことであつて、特別の事に属するものではない。

抗告理由の二について、

抗告人は被相続人から財産管理を委託され万般の相談をうけていたと主張するが、被相続人が財産の保全、利殖等につき抗告人に相談をしたり助言を求めたりしていた事実はうかがえるけれども、財産の管理を抗告人に委託していたことを認め得る資料はなく、抗告人が被相続人の財産の保全、利殖等について特別に寄与した関係にあることは到底認められない。

抗告理由三、四について、

被相続人が昭和二六年頃抗告人のいうような病気で入院するに当り保証人となり、入院の手続をしたり献血の世話をしたりしたこと、また、被相続人からその死後に遺骨を○○霊園と○○市の共同墓地に分骨することを委託されていたことをもつて特別の縁故関係にあつたものと主張するけれども、仮に右のような事実があつたとしても、これもまた親類縁者として世間一般通常のことであつて特別に異とするに足らず、相続財産の分与を請求し得る特別縁故者に当るものとは認められない。

要するに、本件抗告は理由がなく、その他記録を精査しても抗告人が前記法条にいう特別縁故者に該当する事由は見出し難いから、抗告人の本件相続財産分与の申請を却下した原審判は正当であり、本件抗告は棄却を免れない。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 三上修 裁判官 長瀬清澄 岡部重信)

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